歴史と思い
Greeting
ご挨拶
元伊勢は古くから当地方の象徴的な存在として崇められてきた古社です。それは郷土を育み守護する産土神としてよりも、より根源的な皇祖天照皇大神という万(よろず)の神の大元神によせる信仰であって、皇大神が伊勢の聖地に遷られる以前に、四年間この地に鎮座された伊勢の元宮(もとみや)であるとの誇り高いものでありました。元伊勢の創建は、今を去る二千六十年の遥かな昔であったと社伝は云いますが、多 くの参拝者は鬱蒼たる天然の深い森に囲まれた簡素な社殿の佇まいに悠久の歴史の重みを感じ、神域に漂う霊気に触れ、神と人と自然が融け合う神仙境が現出していると感得されるのでしょうか、「身も心も洗われたような清々しさを感じる」とか「いのちの充実を感じる」とか様々な感動を伝えて下さる。この感動、感得こそが元伊勢信仰の原点ではないでしょうか。
Greeting
ご挨拶
Shrined deity
ご祭神
天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
高天原の神々の中の最高神であり太陽の神。皇室の御祖先の神であり、私たち国民の総氏神です。日本書紀によ ると、お生まれになった時、「光華明彩(ひかりうるわ)しくして、六合(くに)の内に照り徹る」と称えられ、この上なく輝かしい存在として、また神々の世界を治める日の神としても伝えられています。
ご利益は、国土安泰、五穀豊穣、生命力向上などあらゆることに神徳を発揮されます。
製法
毎日が真剣勝負の艶漬け
塩分が少なく甘みがあり、大変まろやかな風味のみそを自社で製造しています。………………………………………。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
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Origin
ご由緒
伊勢の元宮として庶民の篤い信仰
伝承によれば、第10代崇神天皇39年(西暦紀元前59年)に、「別に大宮地を求めて鎮め祭れ」との皇大神の御教えに従い、永遠にお祀りする聖地を求め、それまでお祀りされていた倭笠縫邑(現奈良県桜井市三輪)をお出になったといわれます。まず最初に但波(丹波)へお遷りなり、そのご由緒により当社が創建されたと伝えられています。皇大神は、当地に4年お祀りの後、さらに諸所を経て、垂仁天皇26年(西暦紀元前4年)に、伊勢の五十鈴川上の聖地(今の伊勢神宮)にお鎮まりになりました。(上記の丹後内宮全図は、舞鶴市所蔵)
こうしたことから当社は伊勢神宮内宮の元の宮として、「元伊勢内宮」あるいは「元伊勢皇大神宮」「大神宮さん」などと呼ばれ、今も庶民の篤い信仰が続いています。
Past and present
元伊勢まいりの今昔
熱心な崇敬者等によって再び元伊勢まいりが盛んに
2千年前には、この地は大江山を中心とする丹後山地の大原生林の一角で、人跡未踏の秘境であったと思われます。庶民の参拝が始まったのは鎌倉・室町・戦国の頃からと推定されますが、徳川時代には参勤交代の通路になったため、宮津藩主の尊崇を受け、急に広く崇敬の輪をひろげました。明治期まで、年間の参拝者8万人と記されており、麓には宿屋が10軒もあり、茶屋、土産物店が軒を並べていたといいます。当時は由良川の舟が利用され、船着場から約4キロ歩くだけでしたので老若男女を問わず大勢の人がお参りしたようです。その舟便が途絶えた関係もあり、大正から昭和30年代頃までは参拝者も激減し、元伊勢も衰退の一途をたどりました。
そして、昭和40年代後半頃から交通網の発達によって、再び元伊勢まいりが盛んになりました。一般的な観光客よりも、熱心な崇敬者や宗教団体のお参りが非常に多いのが特色の一つです。